今回のテーマはかなりデリケートなところなので、3日に渡ってお伝えしていきます!
今日は3つの笑育学テーマのうちの一つ目!
「共感」です!
不登校に、共感?
ってなった方もいるかもしれませんが・・・そう、共感です。
共感とは、相手の関心に関心を寄せる状態です。
良く勘違いしがちなのが、共感と聞くと、夫婦喧嘩とかでも「夫に意見は求めていない、共感してただ、うんうんと意見を肯定してもらって、聴いてもらえればそれでいいの!!」みたいなの、ありますよね~((笑))
男性側からしたら、「え?悩んでるんだから、解決策が知りたいんじゃいん?うんうんって聞くだけって、それ解決にならんやんけ!!!」って突っ込みたくなる女性の謎行動らしいですが((笑))
今日は夫婦としても、こういう共感の部分は使えるところかと思います!
この、共感日本人は勘違いをしているとも言われるそうなんですが、「分かる~」と相手に同情することではありません。
相手の関心に関心を寄せるだけです。
自分眼鏡を外して、相手目線、相手の眼鏡をかけてそのレンズを通して観たものを感じるだけです。
あ、でも眼鏡をかけて感じるところまで来てしまうと、共感というより自分の感情が乗ってくるので、そこまでではなく、あくまでも関心に関心を寄せるところまでですね。
共感的理解を示す。という形がしっくりくる方もいるかも知れません。
今日のテーマである「不登校」一概に不登校といっても、状況はまちまちですよね。
親が、行かなくていいと言って言っていない子もいれば、
いじめに悩んでいかなくなった子
学校の授業についていけなくて行かなくなった子
学校より楽しものを見つけたから行かなくなった子
他の子や、先生との関係に悩んでいかなくなった子
上げてみれば、本当に沢山、理由があると思います。
このご時世、先生方も大変のようで、鬱になってしまったり、憧れて入った教員という仕事にギャップや責任を感じて先生という立場を降りた方も・・・いらっしゃるなど・・・本当に学校の先生も今、悩まれていて、キツイ状況にあるのだと思います。
今、整骨院という身体をサポートする立場で、先生と生徒や選手、保護者の3者の立場ごとのご相談を受けることが多いため、今回このテーマを扱わせて頂くことにしました。
まず、前提として、誰が悪いとか、そういうことは、ありません。
ただ、誰かが発した言葉がきっかけで、心を閉ざしてしまう立場の人がいる。今回はそれが子どもたち。というのが、不登校なんですよね。
これは、職場においても出勤できなくなったという方が居たり、スポーツ現場でも練習に参加できない選手が出てきたり・・・本当に立場を変えれば、誰にでも起こりえることです。
まず、私が不登校になったきっかけについてお話していきます。
とても、嫌な思い出なので、昨年までずっと蓋をしていました。
蓋をして向き合わない様にしたり、無かったことにしたり、抑え込んだり、当時の自分に会うのが怖くて、ずっと別の自分を演じて、誰にも自分の心の内を魅せない、近寄らせないようにしていました。
でも、昨年、私にこの笑育学を教えてくださった荒巻仁さんの「未来こどもサミット」という福井県で行われた2泊3日の講座に参加して、この蓋をしていた、不登校だった中学生の時の自分と会ってきたことで、私の考えはごろっと変わりました。
少し、変な話だなと思われる方もいるかも知れませんが、大人になった今の自分から、中学生だったあの時の私に話しかけることが出来たんです。
当時の12,3歳だった私からは全然想像も付かなかった、今の幸せな生活をしている私。
でも、今の私があるのは、間違いなく、あの時の私のおかげです。
辛くて、辛くて、幸せすぎる今からしたら、本当に愛おしい存在の中学生の私。
辛すぎて、思い出したくなくて、ずっと蓋をしていたけれど、どっと落ち込む時には、そのころの私が寄り添ってきてくれてたのは、事実です。でも、楽しく、幸せな時には、その辛すぎる過去の私は、私から離れていってしまうので、中々会うのが難しかったのですが、というよりも楽しく幸せな時にあの辛かった頃をもう一度思い出したくなかったので、自分で押さえつけていたのですが(笑)
今では、本当に過去の自分も愛せています。
福井未来こどもサミットに参加して「私は私に生まれてよかった」と心から思えたし、過去の自分に「ありがとう」が伝えられました。
私の人生のどん底は、産後にもあるのですが((笑))
今は確かに、幸せなで満ち溢れているけれど、もしかしたら、他の人からしたら、かわいそうな状態でも私は幸せと思っているのかもしれません。そのくらい、人によって幸せの価値観も、基準も違うのだと、思っています。
で、前置きが長くなったのですが、私が不登校になったきっかけは「いじめ」です。
本当に突然やってきました。
上靴が無い、靴に画びょうが入れられている、携帯を盗まれる、財布のお金を盗まれる、教科書やノートを隠される、ベランダや廊下に自分の机や椅子が出されている、ばい菌と呼ばれる、無視される、逃げられる・・・
典型的なドラマみたいなやつです。
最初は気のせいと思い込んでいました。
でも、それは気のせいではなく、クラスの一括りの組織だけでもなく・・・
今でも、当時のことを思い出すと胸がギュー――っと締め付けられます。
中学生の自分、頑張れ――――――――!!!って、今、声かけてますので今日は、語れます((笑))
気のせいだと、言い聞かせて・・・
でも現実は残酷なんですよね。
ずっと悩んで、今日は、今日こそはいいことが起きますようにとか、けなげに祈るんですよ。
そして、眠りについて、でも、明日はやってきて、
だんだん嫌になるけど、親にも心配かけられないから学校行くんですよね・・・
でも、また現実は酷でね・・・
次は、今日は、今日こそは、誰かに打ち明けようとするんです。けなげにも・・・でもそこには友達と呼べる人が居ないんです。
そして、やっと打ち明けるんです。打ち明けた言葉は「今日、お腹痛いから、学校や休む」なんです。
お腹なんか痛くないんです。でも使えるのは1日だけです。明日は、なんて言い訳しようと一日休んでいてもそればかり考えるんです。
結局ね、親に打ち明けることにしたんですが、私の場合、お母さんから返ってきた言葉に救われました。「いいじゃん、じゃ、学校行かないでいいじゃん」って((笑))
私は、なんだかんだ両親に救われたところもあるのだと思います。
だけど、父の第一声は違いました。この言葉は、学校の先生や、他の大人の方に言われたのですが・・・
「お前も、なんかしたから、相手もしてくっとじゃなかとや?」
「いじめってな、一方だけが悪ってことないんやぞ」
っと・・・。
この言葉は絶対に、使わないでください。
実は、今でも、練習に来れない子どもたちに対して、こういう言葉をかける指導者や大人がいます。本当に今すぐ、指導する立場から降りてください。
私は、この言葉をもらって、自傷行為がエスカレートしました。
死にたくて、死にたくて・・・でも死ねないんです。そんな勇気無いんです。でも、死んだらどれだけ、楽だろうって、毎度思ってました。
今の自分が、中学生の頃の自分に本当に感謝しているのは、「本当に生きててくれてありがとう」という、ほんとうにこの言葉に尽きるんです。
子どもたちが、「休みたい」という言葉を大人にSOSとして発信するまで、どれだけ胸が締め付けられて、苦しくて、悩んで、もがいているのか、「休み続ける勇気」も知ってほしいのです。
チームメイトにどう思われるのかな?クラスメイトに久しぶりに学校に行ったらどんな風に思われるかな?どう見られるかな?私は休み続けても、やっぱり必要のない存在なのかな?もう休むという選択をするまでも、かなり悩んで、ようやく相談する勇気をもって、今があることを忘れないでください。
「休みたい」というコトを肯定したりしなくても、否定したりしなくてもいいのです。
もし、この言葉をあなたのそばのお子さんが、ようやくあなたに打ち明けた時
あなたはただ黙って、抱きしめて欲しいのです。
抱きしめるのが難しいなら、ただ、その子の気持ちに寄り添ってあげて欲しいのです。
その時、私はこう思うなど、あなたの意見はそっと心の片隅に置いて、ただただ、勇気を出してくれた目の前の子どもに感謝を伝えて欲しいのです。
分からせようとするのではなく
こう声掛けをしたら、元気でるかな?とか勇気づけできるかな?とか、こういう話をされたら、こう応えようとか、今はその感情や思考、言葉たちは少し手放して
一緒に泣いてもイイ
一緒に笑ってもイイ
一緒に黙っていてもイイ
一緒にただ、一緒に
「そうか、○○だったんだね」と寄り添ってあげてください。
ただ、そこに一緒に居てくれるだけで、救える命があります。
大げさ化もしれないけれど、ただ、そこに居るだけで、引き出せる笑顔もあります
どうこうしようと、しなくていいから、「共感」相手の関心に関心を寄せること是非実践してみてください。
過去に、こういう経験があったからと言って、私はかわいそうな人間ではありません。
先にも言ったように、私は私に生まれて良かったと心の底から思っています。
だから、不登校が可哀そうとか、練習に参加できない子が可哀そうだとか、そういう視点にはならないように、気を付けながらこのブログやPodcastを聴いて頂けたり、読んで頂けたら嬉しいです☺
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました☆
皆様にとって笑顔あふれる一日となりますように☆
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