悩む暇も無い・・・って、どんな時?

対人関係

みなさん、こんにちは!

誰でも、生きていれば、悩みは尽きないものですよね・・・。

悩むって、考え事をしている時なんですが、一瞬で解決するものは、悩みにはなりません。時間をかけて、考えるから、悩みになるんですが、悩む暇も無いくらい・・・という事が、自分に起きたので、今日はそれを紹介していこうと思います。

実は、私、最近まで、半年くらいかけて?ずっと、悩んでたんです。

それは、考えたら、霧が無いような・・・「なんで、生きてるんだろう」ということなんですが・・・

以前のブログにも書いた通り、私は完璧人間ではありません。

だから、グダグダもするし、怠けて動けなくて、部屋中に散らかった物たちとにらめっこしたり、ある日は、一歩も動けなくて、部屋の天井を眺め続けたりするんです。

そこで、よくできた主人が、子どもたちにお茶漬けを注ぎ、ご飯を準備している・・・そんな姿を見ると、

「ごめんね・・・こんな嫁・・負担かけてごめんね・・・」と思うのです。

子どもたちにも、無気力の母ちゃんごめんね・・・

と思うと、更に自分があまりに無力すぎて、また、理想の母親像とはかけ離れすぎて、途端に、どん底に突き落とされたかのように、自分を責める呪文が唱えられ始めて、悩みの霧が深くなるのです。

雲行きは怪しくなり、ついには、頑張っている主人にも、悩みの火種は降り注ぎ、道連れにしようとします。

でも、それでも、生きてるんです。

なんで、私生きてるんだろうって考えたら、霧が無いのですが、前回のブログでもお伝えした、ペンキ画家SHOGENさんのブンジュ村での体験談が、私をぐーーーっと救ってくれました。

無駄というコトに、喜びを感じる。人間は、祝福するために生まれてきたんだよ。

というお話でした。

「効率よく考えるのであれば、生まれてすぐ、死ねばいい。人はいかに、無駄を楽しむかっていうテーマで生きているんだよ。お前の心のゆとりはどこにあるんだ?お前の幸せはいったいどこに行ったんだ?」とSHOGENさんが言われた言葉。

そして、私たち、人間は、自然破壊とか、食物連鎖には関わらない。残念な生き物図鑑という本の中にも、人間は、食物連鎖に関わることがない、残念な生き物だ(残酷)と書いてあるページもあったかと思います。

でも、私たちは生きている・・・

それは、花や自然が咲くとき、星が綺麗に輝いている時、太陽が暖かく照らしてくれる時、「綺麗だね」「あたたかいね、ありがたいね」って、祝福するために、生まれてきたんだよ。だから、言葉が与えられて、感情が与えられた。

そう、SHOGENさんのYoutubeで聴いたとき、悩みがす~っと晴れてきたんです。

悩みって、自分がこれまで正しいと思ってたことととか、自分が経験してきたとこが、覆されたとき、否定されたような気持になって、でも、どこかで自分を受け入れたくて、正したくて、肯定したくて起こるものだと思うんです。

だから、悩みを通して人は、成長する。

どん底に居るときに、私は、どん底だから、悩みのネタに尽きたんです。尽きたところに、SHOGENさんのエピソードが入ってきて、すんなり腑に落とせた。

目の前に、広がる景色も当たり前じゃないし、今、息をしている自分の身体だって、愛おしく感じました。

そしたら、次にやってくるのは、感謝の渋滞です。

こうやって、発信させてくれるネットという環境も、受け取ってくださる方の優しさも・・・

すべては、誰かの優しさと愛でできてるなぁ・・・って感じたんです。

すぐに、感謝を伝えたいと思っても、足を運べないこともある。けど、心の中で、有難く使える喜びを味わって、大切に使う。

それは、形あるものだけではなく、例えば、家族や友人と過ごす時間だってそうです。

優しさに溢れた世界に、生きれて幸せだなぁって思うんです。

実は、元は以前のブログにも書いたことが、あるんですが、心ないアドバイスが、私を苦しめたきっかけでした。でも、今では、自分の心が落ち着いている間は、聞き流せる。

私に限らず、言葉って、時に人を救うけど、優しさが乗ってないと、棘があり、人を傷つける刃物になる。優しさだけじゃない。思っている事と、発していることが一致していない時もそうです。

自分が特別な訳ではないし、どちらかというと、考えすぎなのかもしれないけど、私は凄く、人の言葉の裏にあるものを、敏感にキャッチしてしまうため、話されたこと以上のモノを受け取ってしまいます。

話した相手は、「アドバイス」と思って、お願いしてもいないのに、相手の意見を押し付けてくることがあるのですが、だからこそ、私はあまりダメージを食らわない様に、時々家族には申し訳にけど、充電時間を作ります。

きっと、めんどくさい性格なのはわかっているけど、そうしていくことが、なんとか自分を繋ぎとめていることも自分で分かっているのです。

人と比べるとかではなく、自分に否がある、塵があると自分で分かっているから、何百倍ものダメージを受けるんですが・・・

だからこそ、人には、語らず、押し付けず、感じることに慎重になっています。

そうのせいか、特殊能力のように、患者さんの身体に触れると、会話をすることがよくあります。

患者さんが、誤魔化しても、身体は私の手に色々話しかけてくれるんです。不思議なことに、これ、話を聴こうとしても、身体は教えてはくれなくて、私も感じれない時もあって・・・最近分かってきたのですが、自分が自分の心を繋がっている時は、どうやら話せるらしいのです。

馬鹿にされるようで、中々喋れなかった、実は風と話せるという話を主人にしたんです。

でも、主人は驚かなかった((笑))きっと、こんな調子で突拍子もない事を、しょっちゅう話しているので、ふ~~~んという感じて聞き流されているんだと思うんです。

飛行機で揺れた時も、大吹雪でホワイトアウトの時も、私に余裕が無くなって、地元に帰った時も・・・

変な話だけど、それは確かに私の中に、ポンって言葉が降りてきて、言葉にしたら消えちゃうから、心で会話するんです。すると、本当にその通りになる。

「この雲抜けたら、揺れないから大丈夫」

「ごめんね、暴れん坊でさ、でもね、帰りは大丈夫だよ」

「おかえり、それでいいんだよ。よく頑張ってる」

とか、という言葉なんですけど・・・不思議ですよね・・・

毎日会話できる訳じゃないから、自分でもよくわからないけど、聴いてみたら、実は結構会話できる人が居て、私だけじゃないコトに驚きました。

でも、聞こえる方々に共通しているのは、心に余裕がある、穏やかな方であるという事なんです。

私自身は、穏やかでない時もあるので、一概に私もです、とは言えないのですが、日本語の言葉ってもしかしたら、本当に、自然や虫と会話するために生まれたのかもしれないですよね。

面白いですね。

こうやって、書き綴っていくと、これを書いたらなんて思われるかな・・・・?とビビってた自分はどこかへ、消えていきます。

悩み事よりも、聴いてくれる方とか、受け取ってくれる方の優しさを想像すると、不安に思っていたこともなぜか、愛おしく、それもこれもどれも、私であり、私らしいと思えるようになりました。

本当は、悩みが無くなるくらい、感謝であふれている。

次男の心臓が今日も動いているそんな、話を綴ろうと思っていたのに、今の自分が書き綴ったのは、こあなたわいもないエピソードになってしまいました。

私が、悩む暇も無いくらい・・・ってなるときは、ありがたいなぁ・・・という、自分の存在に向き合えた時。そして、おかげさまに溢れていることに気づいたとき。大自然の愛に包まれて、圧倒されたとき。ありがとうを伝えに行きたくて、それが渋滞して、忙しくなった時☆というお話でした((笑))

まとめきれていませんが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

人間らしく、今日も生きる。

私は、私の人生を今日も生きる。

私の心と身体に集中して生きる。

さて、是非、皆さんも、ご自身の心との会話を楽しんでみてください。

今日も皆さんにとって素敵な一日になりますように(^^♪

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