みなさん、いつも拝読頂き、ありがとうございます(^^♪
今回は、まさにタイムリーで、昨日は3月1日。公立高校の卒業式でしたね!
新たな門出を今後も応援しております!何より、ご卒業おめでとうございます!
私がサポートしているラグビー部たちも卒業という事で、昨日は挨拶に来てくれました。
私自身、学校の先生でも何でもないのですが、これまで、本当に多くの卒業生を見送ってきました。というのも、整骨院が、学校の目の前ということもあり、サポートチームに限らず、本当に多くの学生に足を運んで頂き、この時期になると、シーズン中通ってくれていた、学生選手たちが、親御さんと一緒に挨拶に来てくれるんです。
私はこれまで、見送るときに泣いたこと一度も無かったんですが、今回初めて泣きながら見送ったんですよね。というのも、込み上げてきちゃって・・・少しの間は、サポートチームの卒業生達ロスになるんじゃないかと思うんです。
もちろん、毎年見送ったら、寂しくはなるんです。心にポッカリ穴が開いた感じ。でもね、大抵、ゴールデンウイークとか帰省してくれた時に会えるし・・・と思って、一生の別れじゃないからね!なんて、いつも、笑いながら見送ってたんです。
昨日は、笑えなくて、もう、心の底から、思い通りにならないなんて分かっているのですが、わがままを言いたい気持ちが込み上げてきて、でもね、言葉にしたら大人気ないかな・・・なんて思ってたんですが、それが、逆に心に蓋をしようとしてしまったんでしょうね・・・溢れて、涙が出てきてしまいました。
で、考えたんです。なんで、こんなに思い入れしてしまったのかな~とか。
私らしくないな~とか。
考えても霧は無いのですが、今回のテーマにもある「エラーをカバーできる人」ってことと、繋がってきます。
私は、彼等(サポートチーム)の選手によって、私がやっていることを、正解にしてもらって、千尋さん胸張って、前を向いてと背中を押してもらえたから、彼らを送り出すときに、「ありがとう」という気持ちが溢れて涙が出てきたんだな~って感じたんです。
たった16年17年18年しか生きてない子たちが、私のやってきたことも、私がやっていることも、全部正解にしてきてくれたんです。もう、有難いしかないんです。
それこそ、昨日長男が、野球帰りの車中で「今日練習、怖かった」と打ち明けてくれました。
ボール回しを練習でしているそうなんですが、一昨日は一発で44回出来たそうで、そのラストの球が自分だったそうなんです。それで、取れなくて終わったらしく・・・
昨日は44回を超えようと挑戦したそうなんですが、始まって早々ボールが取れなくて
「そのくらいの球取れるだろ!!!ヽ(`Д´)ノプンプン 暴投でもしっかり取れ!!!」
と、監督さんに怒られたそうなのです。
ありますよね・・・前日、自分でミスしてるんだから、そりゃ悪夢のように頭の中に失敗したシーンが蘇って、またエラーしたらどうしようって・・・なりますよね・・・
そりゃ、人間なんで、失敗もするし、エラーもします。
そこで、エラーした選手を責めれば、勿論萎縮しますし、怯えてしまうものです。
とはいえ、エラーはエラーです。息子にも否はあるわけです。
「それは、怖かったね・・・でもね、このままでいい?」
と、お話しました。
このままで、いいと思ってないから、打ち明けてくれたわけなので・・・
そこは、息子の気持ちを組みつつ、一緒に打開策を考えます。
じゃぁ、どうしたい?という目的を探すんですが、監督さんが話してくださったことで、息子と話しながら気づいたことがあって、確かに人のエラーをその子のせいにするというより、エラーをカバーできる人間になるって、大切なことだなぁって。
人を責めるより、補える人。
そうやって、貢献していくから、仕事が成り立つし、困った時には助け合うから、人は生きていけるんだよなぁ~って。
私も、整骨院をやっていて、トレーナーとして活動をしていて、患者さん、選手や監督から無理難題を申し付けられることがあります。
例えば、Aチームに居た選手から、「足首を捻挫した。あと一ヶ月で選抜遠征がある。それまでに治したい」とか。「最後の試合だから、何とかして出たい」とか。「出してあげたい」とか。
学生選手の案件に関しては、命の危険に関わるような脳震盪後などの案件ものは、頑なにこちらの主張を譲らないこともあります。
しかし、自己責任の下、トレーナーはサポーターです。選手の意思を尊重することも、時に必要になります。
そこで、必要なのは、こういう、暴投をいかに、修正して、より大きなケガにならないよう、リスク回避し、次に繋げる。
これって、ボール回しのエラーを修正して、次につなげることと、同じだなぁって思ったんです。
例えば、ぎっくり腰になった患者さんだって同じです。
私たちが、ケガをさせたわけでは無いんです。だけど、身体が痛いってやってきて、仕事に復帰しなきゃいけないから、いついつまでに、治さなければいけない・・・とか。
(いや~。無理でしょ。この、身体。こんなになるまで粗末に使って。まだ、駆使する気かい。体が可哀そうだよ・・・)
とか、もちろん、内心は思います((笑))
でも、それを無理と言ってしまえば、私の出番も無いですし、今、目の前に、頼って来てくださっているのだから、私がこれまでに備えた知識と技量の中で、なんとかするしかないのです。
魔法もないし、投げやったり、逃げることもできないのだから、私の手でなんとかするしかないんです。
私が、痛めつけるようなことをしたわけじゃないのに・・・です。
息子の心理もそうだったと思います。
暴投が取れなかった時、エラーをしてしまったとき。もちろん、息子の心にも脳裏にも失敗したらどうしようの心理は少なからずあったと思います。でも、「失敗したら、抜けてもらうからな!」などと脅迫されたら・・・そりゃ、失敗してはいけない・・・が、脳裏に浮かぶわけです。人間ですから。
そして、少なからず、取れないボールが来た時、俺の責任じゃない!取れるボールを投げろよ!!!
とか、思いやりを相手に要求したくなりますよね((笑))
人間ですから((笑))
私も、息子にまで、完璧人間目指して欲しいとも思ってないし、私自身完璧じゃないからそこまで、かっこいいこと言えません((笑))
でもね、エラーをカバーするということは、生きていく上では、人を責めるより徳に繋がることだと思うんです。
俺は、カバーしたんだから、お前もカバーしろよ!とか、そんなことではなく、ただ、純粋に、エラーや暴投が来たなら、それをカバーすればいいだけなんです。
修正して、次に繋げて・・・自分のできる範囲の中で、修正をして、次にバトンを渡すだけ。
自分のできる範囲の中で・・・です。
で、今回の件だと、じゃぁ、息子は何が出来る?という事に、息子にはフォーカスしてほしくて、お話を聴いてました。
コントロールしたわけでもないけど、「ん~・・・なんかさ、ちょっと言い方、嫌だったけど、どうやったらできるようになる?わかんないんだもん」
と言われたので、じゃぁ、よしっって母ちゃん、手を差し伸べることにしたんです。
普段、トレーナーをしていますが、息子には一切、トレーニング指導したことがない、母ちゃんです。
というのも、彼の中には、その憧れもあり・・・
高校生のお兄さん方や、他チームの選抜選手たちが足を運んでいることを息子は知っているし
「どうやったら、教えてくれるの?」
って、お願いされてたんです。
でも、大きくなったら教えられるかな~・・・って。息子には、一度も指導したことが無かったんです。
昨日は「よし、じゃぁ、特訓だ!!!」って勢い有った母ちゃんですが、母ちゃんのトレーニング指導は、決してムチじゃない。厳しくない。楽しそうにみんながやっているのを知っているから、息子はやりたかったんだと思うんです。
もちろん、楽しいだけじゃなくて、厳しい時もあります。それは対応する年齢にもよるし、選手のスキルにもよります。
昨日、息子と初めて、特訓して終始爆笑しまくってました((笑))
で、母ちゃんが暴投しても、キャッチしに行ってくれた。そこで、自然に「有難う」が言えるし、もらえるんです。交わせられるんです。
恐怖でコントロールするより、よっぽど、有難うって言われた方が、嬉しいじゃないですか。
私は、トレーナーとしての専門知識を備えているから、これが苦手なら、こっちでやってみるのはどう?と提案することができます。
人は、行動を認知するとき、感情+行動や出来事+知識などと、結び付けて記憶していきます。
恐怖で、コントロールすれば、人は反応が鈍くなります。
ただ、時には、恐怖ではなく緊張感は必要です。
楽しいだけではケガをしてしまうから。この、緊張感と恐怖心をはき違えて、指導してしまう指導者の方は多いと思います。
息子が、終始笑顔で、秘密の特訓を終えた後、同じメニューを父である主人にも経験してもらいました。
やり方は無限大です。でも、父も野球経験者だからこそ、少なからず、息子に相談されたらアドバイスしてしまうんです。
その点に関しては、私はその時は何も言わないのですが、昨日息子と同じメニューをやって、グダグダだった父の姿を見て、また息子と笑いました。
失敗しても人は笑えるんです。
失敗したら罰を与えることが、必ずしも正解ではないし、私のスタンスとしては、勝ちにこだわりたいという選手がいるなら、それに応えるよう、不足した点については拘りをもって修正と習得を繰り返します。
でも、楽しくないという選手がいるなら、楽しみたいのであれば、楽しめるよう提案して、体験してもらいます。
私たちは、生きているうち、動くのです。動くものだから動物っていうんです。
なのに、エラーやミスはいけないもの。と幼いころから認識させてしまっては、動けるものも動けなくなってしまいます。
エラーやミスをすることが良いこと、悪いこと。というのはではなく、エラーやミスが起きたなら、修正して立て直せばいいだけなのです。
私自身、選手たちに正解にしてもらった。と先ほど、お伝えしましたが、ラグビーのトレーナーを引き受けて8年。一度も、全国大会帯同トレーナーとは名乗れませんでした。
それどころか、けが人の多さに、私たちがやっていることは、間違っている・・・などと、自信が無かったんです。
それはまさに、いい悪いとか、正しいとか間違っているとかという視点からでした。
でも、全国大会の舞台に帯同して気づいたことがあって、それは正解は無いという事です。
もちろん、流行り廃りというのはあるけれど、チームそれぞれの見解や方針があって、チームカラーがあって・・・強いチームだから必ずこうしているという共通しているやり方は、見当たりませんでした。
どんなやり方でも、成績が残れば、その時の正解になっていくんだと思うんです。
私は、トレーナーとして、自信が無かったけど、選手は、卒業式の後くれた色紙にも書いてくれてたんですが、「千尋さんのように・・・」「櫻井さんのように・・・」という言葉が並んでいたんです。
それは、自信がない私たちのやり方や、もしかしたら間違ってしまっていた、やり方なんかも全て、選手たちが、信じてくれて、一つづつ形にしてくれたから、私も「これで良かったんだ」「これでいいんだ」と、私自身も私でもできると思えたんです。
正解にしてくれた。というのは、世の中にとっての正解不正解という回答ではなく、私が自信を持てたきっかけになった。ということです。
どれもこれも、そう思わせてくれる、誰かの優しさがあってこそ。だと思うんです。
今回のエラーをカバーできる人間になるということは、何も必ず人に喜んでもらうことをする。ということではないんです。
ただ、エラーを責めるより、エラーをカバーし合えるほうが、ありがとうが交わし合えるし、心地いよね?という事でした。
私のこのブログやポッドキャストも、聴いてくださる、受け取ってくださる方がいてこそです。
ありがとうございます☆
さて、今日は長くなってしまいましたが、「エラーをカバーできる人」というお話でした。
皆様にとって素敵な一日になりますように☆
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