本日、超絶嫌になるほど、面倒くさい自分でお届けします。

こんにちは!いつも、話がまとまらない。要するに・・・という言葉が苦手が櫻井です。

で、今日は、昨晩、超絶ネガティブになって、苦しくなって、久々に声を押し殺して心崩壊しながら泣いたので・・・もう泣いてスッキリしてしまったので、綴っていこうと思ういます。

ただ、これを、伝えるからと言って、私こんなに辛いんですよ!っていうアピールでもなければ、悲劇のヒロインでもないし、だからどうだという結論がこうなったとかいう、話でもないので・・・

ちょっと、良く分からないという方は、着地点も無いので、Podcastまたはブログを閉じて頂いて大丈夫です!

もし、最後までこれにお付き合いいただけるかたは・・・

相当な、ファンであり((笑))ありがたくも・・・変態かもしれません((笑))言いすぎました。すみません(;´・ω・)

一昨日と昨日、私はコンサルさんと自分でも絶大な信頼と尊敬を寄せる友人と、それぞれ、二人の方に経営について、ご相談をしたわけなんです。

最近自分で感じているギャップについて

①受容と供給

自分が提供したい理想の相手と、自分を求めてくれる方々の差。

憧れという言葉を使用する方々よりより、なるほど、そういう考えもあるのですね。と、対等な目線で話してくれるような人を求めたいという自分。

一方、需要としてはやはり、経験談。不登校だったり、障がい児を育てる親としてだったり、自分の成しえたポテンシャルだったり・・・

私的には、それは確かに私なのかも知れないけれど、私の中でそれは表面上に過ぎず、キラキラした部分だと思っているんです。

そこに、憧れて来るような方々をヨイショヨイショして、自分のこれまで得てきたものを伝えていきたい、受け取って欲しいとは思わないのです。というのも、そういうキラキラした側面が好きで寄ってくる方々というのは、キラキラした所以外興味がなく、いいないいなと、隣の芝生が青く見えるタイプで自分自身には興味がない方がほとんどだからです。

誰かに、何かをしてもらいたいとか。自分自身には興味がなく、どうしたいという夢ばかりは語るけど、自分のおかれた状況把握にまでは至らない方々。

そういう方々へ商品を届けるために、こちら側が、消費者の目線に立ち・・・・

市場の受容に応えていかないと、こちら側が、いくら「いいですよ」と言っても、需要がそこになければ商売は成立しないという考え。

確かに・・・。図星であり、理解できることは分かります。

でも、私の中の何かが、納得がいかないのです。

みんなの問題を解決する。不便を明白にしていくから、商いが成り立つ。これも分かります。

それと、じゃあ、みんなに一度商品を手に取ってもらえれば、その良さが分かるのだから、商品を手に取ってもらえるように、入り口を広く取ろうとして、誰でも彼でも「私も」と思ってもらえるような、当てはまるような言葉で釣られるような人に、これを伝えても、購入に至らなかった時、間口を広くして、手に取ってもらえるように、こちらは目線を下げたのに・・・と、思ってしまう苦しくなる自分が現れるんじゃないかな・・・

と思ったんです。

苦しくなる経験をしないことが美学なのではなく

苦しくなる・・・とこが分かっていても、それでも、そういうやり方で?やるの???

って、自分で思ってしまうのです。

ビジネスがこうすればこうなるという、模範解答や流行り・廃りもあるかも知れないけれど、、流れに反せず生きれば軸を持った人だと称賛され、風に逆らわず、流れに乗れば、流行りを掴んでいるとか、先取だと称賛され。

分かる・・・分かるけど・・・分からない・・・

不登校や障がい児を育てる一児の母ですあること。整骨院を営み、いつでもニコニコ元気で、マインドが素敵だと称賛されること。

自分の中では、それだけが自分ではないんです。

だから、分かってはいるけど・・・というのがあるんです。コンサルさんや友人は的確なことを的を得て話してくれる。だから、グサグサもくるし、現実見れるし、良しっとも思える。

「それは、そういう経験とかを利用するんじゃなくて、それが千尋さんに与えられた千尋さんにしかできない事なんだよ」

って。キラキラワードじゃないですか。

でも、昨日は違ったんです。昨日はキラキラじゃなかった。

受け止めてあげ切れていない自分がいることが、「苦しい」。それが、昨日の私の答えでした。

経験とか、置かれた立場とか、人の悩みを解決する方法がるとか、そういう世の中に溢れている情報が「食い物にしている人たち」がいて、それでお金を稼いでいる。

求められている、与えられている、あなたしかできない。といわれれば綺麗な言葉かも知れないけど、それで、私に関わってくれる人たちに対してどうこうなってほしいということとも違う。だから、一致する言葉が無くて苦しかったんです。

②二つ目はお金の価値観について

お金については以前の私は汚いイメージを持っていました。そんなものいらないよ。って、思っていました。いまは、一つのツールとしてしか考えていません。

ありがとうの対価。とも考えられるし、言葉にできない方々からの、それを伝えるツールで、言葉と何ら変わらない、立ち位置だと思っています。

好きなことをしていくには、もちをんお金が必要な世の中だし、あるに越したことは無いでしょう。

稼いで、時間を作って、好きなことをして・・・その仕組みがあることも理解できます。

でも、稼いでからじゃないと進めないのか?というとそういうわけでは無いことも理解できます。

やらない。という選択をして時間を確保し、そこで収益を生む。

やり方は何万通りとあるので、そこは、何ともいろんなやり方があっていいと思うのです。

ただ、自分の中で、じゃあ、お金を払ってくれるなら、高額商品だから買ってくれる人が善人か。と言われるとそこはイコールではないと思っているんです。

「私は、これだけのものを買ったのに、これだけのことしか提供できないの?」

と不満を漏らす消費者もいると思います。

そして、売上があれば、じゃあ金銭的には裕福かいわれればそうかもしれないけれど、じゃあ、幸せか?といわれると「もっともっと」と飢えている苦しい状態だと思うのです。

そんな、枯渇した社会の中で生きるより、自分は、自然が生み出した中で風を感じたり、命を頂いたり、時間にせかされることもなく、時に流れを任せ、生かされていることを感じている中で生きていきたいのです。

所詮、お金は墓場に持っていけないし、流通が動き出せば、価値もなくなりただの紙切れにもます。

だけど、お金が、もっとあれば・・・もっとあれば・・・と思うのです。

そんな中で生きていることが苦しくて、最近本当に、物々交換の世界で生きたいと望んでしまうのです。

税金を納めなくてもよい、やれる日人、出来る人が補い合う。それでいい。

ひとでなくても、自然とそれができるのあれば、それが一番の相乗効果ではないかと思うのです。

でも、そんなわけにはいかないから、痛い話も真摯に受け止め、やっぱり逃れられない現状を打破すべく、向き合って進むしかないのだと思うのです。

お金についても、お金が豊かにしてくれる反面もあるので、お金を稼ぐという思考が嫌いなわけではありません

最初にも伝えたように、着地点や、答えはないんです。

だって、それぞれ感じていて、置かれている状況も、生きてきた道のりも違うからなのです。

昨日、夜、心が崩壊したのは子どもたちが寝て、たった一人歯磨きをしたきでした。

もう、寝ようとしていたその時、

「一人で抱え込まなくていい」「誰かに頼ることも大切」という言葉が、自分を苦しめているって、感じてしまったんです。

私は、何でも自分でできるから。ということは1ミリも思っていないし、抱え込みすぎたり、人に頼りたがらない傾向があることは、自分でも自覚しています。

だから、頼ってみたんです。でも、頼ってみて、違ったんです。

話や相談をしているうちに、「ああ、この人は、こんなことで悩んでいるんだ」とか「この人はこんな価値観を持っているんだ」とか「こういう言葉を伝えた方が、この人は嬉しいだろうな・・・」とか・・・相談をしているはずなのに、アドバイスを受けるたびに、違う自分が出てきて結局、自分の思ってもいない言葉を発して、場を丸く収めているのです。

的確な、言葉もあり、向き合わなければいけない現実があることも分かります。

厳しい言葉も、優しさがかくれていることも、そう思っては居なくて、私を想って発してくれている言葉であることもわかります。

だからなんです。

だから、めんどくさいんです((笑))

だから、分からなくて・・・・

歯磨きをして、ふと、鏡を見た自分に「苦しいね」って、心で呟いたら、もう、崩壊。

涙が止まらなくて・・・

久しぶりでした。

子どものときみたいに、胸がギューっと締め付けられるくらい、泣いたのは、久しぶりでした。

どこかで、大人な自分が居て、だから、声を出しては泣けなかった。

でも、苦しかった。答えなんてないのに、何か、答えを探そうと必死で、苦しかったんです。

歯磨きを終えても、涙は止まらず、、、

それでも、自分にかけた言葉は「それでいいんだよ」ではなかったんです。いいんだよではなく、

誰かに何かを言ってもらいたかったんではなく、現状の自分の状況とか、環境とか、そのすべてにおいて「自分で自分に、ありがとう」って言ってあげたかったんだな。って、そんな、涙があふれてきたんです。

ここまで読んで、病んでるだろとか、さすがにヤバい。千尋さん大丈夫?と思う方もいらっしゃるかもしれません。

ヤバいと思います。病んでたと思います。でも、今は一ミリも病んではいません。

泣きながら、私は、自然と手を合わせていました。

この世に、どうでもいいじゃん。っていう悩みはないとは思いますが、伝えたくてもそういうニュアンスで伝えたいんじゃない・・・ってことは、沢山あると思うんです。

だって、これだけ、沢山の気候があって、これだけたくさんの人が生きていて、これだけたくさんの言語や表現があるのだから、万人が理解してくれることを提供していくって難しいと思うのです。

私にできることは、たまに、自分の身体を巡る血液に、今日も循環してくれていることに感謝して、生きることだな

と、昨日泣きながら思ったんです。

苦しい、けど、生きている。

苦しいけど、動いている。

なんだかんだ、こうやって、自分の思いを綴ることが、自分には一番性に合っているのかもしれません。

周りの評価を気にする必要も無いし、発信するのみ。

賛否両論はあるかもしれないけど、とりあえず、一番のよき理解者として、自分のコト傾聴していこうと思います。

こんなことを書こうと思っている時に、私のマインドセットに大きな影響を与えてくれた「笑育学」を一緒に学んだ仲間がいるのですが、私の中では、その友人が神過ぎるのです。

そんな仲間の存在を大切にしつつ今後も学びを深めていこうと思います

さて、長々と着地点のない内容にお付き合いいただきありがとうございました。

本日9月24日(日)20:30~ZOOMにてアクティブサポートトレーナー笑育学講座の無料体験講座を開設致します。

自己犠牲無く、家族時間や仕事、自分のやりたいことして過ごすためのヒントやマインドセットなどをお届けしています。

Active support trainer 無料体験講座申込み
9月24日(日)20:30~ZOOMにて、アクティブサポートトレーナーについての無料体験講座を実施致します。下記情報を入力頂き、お申し込み完了となります。

アクティブサポートトレーナー笑育学講座というのも、ネーミングがイマイチ分からないという方も多いと思います。

ここについても、もっと、万人が分かりやすいネーミング・・・にしようかと考えましたが、誰もが伝えられるなじみのある言葉で軽くなるよりも、当面、私の言葉で伝えていくために、このネーミングをしようしようかと思います。

もしかしたら、変更するかもしれませんが、そのときは、ご報告いたします。

皆様にとって、笑顔あふれる一日になりますように☆

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